天漂空録

彼らは閉じた世界で、もがき、足掻き、必死に生きる

その参 「三の異端 ~闇の章~」

 

 

 

髪を風に揺らされながら、青年は木に凭れ掛かっている。

心地良さそうに眠っているその顔は、幼子の様に穏やかだ。

その青年の元に、一人の少女が駆け寄る。

少女の気配を察知し目が覚めたようで、青年は瞼を重そうに開いた。

 

「蘭」

 

青年が微睡みながら少女の名を呼ぶと、彼女は一礼し微笑む。

手紙が来ている、と小奇麗な封筒を差し出しながら少女は言った。

青年は欠伸をしてから目を擦り、身体を伸ばして「はぁ」と深い溜息。

先程一仕事終えたばかりの彼は、どうにも疲労感が抜けきっていない様子だった。

 

「兄様、大丈夫ですか? まだ疲れていらっしゃるのでしたら、この手紙はまた後程お部屋に届けに行きますよ」

 

兄と呼ばれた青年は妹のそんな労いの言葉に大丈夫だと答え彼女の頭を撫でる。

そうしてから手紙を受け取って封を開き、寝起き故に覚束(おぼつか)ない手付きで折り畳まれた紙を捲(めく)っていく。

 

やや暫くして一通り手紙を読み終わったのであろう青年はうんうんと唸っていた。

少女がどうしたのかと問うと、やや真剣な声音で答える。

 

「九十九が妖を連れてきて、騒動になってるってよ」

 

手紙は来城のおじさんからだ、と最後に付け足す。

それに対し少女、蘭は不愉快そうな顔で眉間に皺を寄せた。

妖に対して良い思いをした事がない人々の一般的な反応だが、青年は“九十九”という人間を理解していた。

 

「あいつが人間と一緒にいて危険な奴を自分の家に連れて行く訳ねぇさ」

 

だからあまり邪険にしてやるな、と再び妹の頭を撫でる。

その言葉に蘭は、邪険にしているわけではなく純粋に心配なのだと答える。

青年が首を傾げていると「兄様もあの方も、すぐに無茶をなされますから」と言い俯いた。

青年はばつが悪そうに頬をかき、軽い謝罪をする。

 

「悪ぃな、いつもいつも」

「・・・・・・良いのです、仕方ない事ですから」

 

蘭は首を振り言うと、暫くの間の後思いついた様に顔を上げる。

 

「それより来城さんの所に行かなくて良いのですか? 手紙をわざわざ式に持って来させていましたし、内容をお聞きするかぎりではかなり重要な要件だと思うのですが」

 

彼女の言葉に青年はまた身体を伸ばし「そうだなぁ」と呟くと、懐から徐に紙人形を取り出した。

 

「弟分の不祥事は兄貴分の責任、ってな。―――我が声に応じろ、式・夜舞」

 

青年が目を瞑り式の名を呼ぶと、紙人形は淡く光り黒い無数の蝶へと姿を変えていく。

その蝶の群れに、青年は人差し指を差し出した。

蝶達はその一か所に集まり徐々に人の形を成していき、やがて青年の指に口付けをしている女性の姿と成る。女性は肩にかかるぐらいの長さの黒髪に黒い衣を纏った麗しき姿をしていた。

 

『私めをお呼びか、我が主よ』

 

女性―――夜舞と呼ばれた式は口を開かず念話で自分を呼び出した青年に話しかけた。

青年はその言葉に頷き、式に問うた。

 

「今、来城の土地周辺にお前さんの仲間はいるかい? 出来れば転移を頼みてぇんだが」

『ああ。昔のこと、主に頼まれた通り常に六家の土地の傍には三ほど潜ませている』 

 

 夜舞の返答に「そうか」と簡単に返事を済ませ、青年は蘭の方を向く。

 

「そんじゃあ、いってくる。留守番は頼んだぞ」

「はい。いってらっしゃいませ」

 

蘭は青年に対し深くお辞儀をする。

そんな蘭に笑いかけると、青年の姿は数多の蝶に飲まれて消えていった。

取り残された蘭は、一人不安そうに呟く。

 

「疲弊しているというのにあのような式をお使いになられて、大丈夫なのでしょうか」 

 

その言葉は、誰も居ぬ空へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

那由多は外廊下の縁に腰かけ、居心地が悪そうに足をぶらぶらと揺らしていた。

自分はやはりここに来てはいけなかったのではないかと、九十九の両親の反応を見て瞬時に察していた。と言っても既に九十九の必死の弁明により、説得はしたのだが。

それでも貫かれる様な視線は彼にとって酷く痛切に感じた。

 

だが、それよりも更に那由多が危惧している事がある。

――雷天の存在だ。

六天神が妖を決して良しとしない事は妖の間では有名だった。

人間はまだ、九十九の様に妖にも善悪がある事を理解してくれる人もいる。

だが六天神は違う。善も悪も関係なく“妖という存在”を抹消しようとしてくる。

他でもない六家という“選ばれた人間”を使って、自分達の邪魔になる存在、害になる存在を“この地”から排除しようとしている。

 

「アニキの言った通り、妖も人も・・・・・・神でさえも、同じ事をしてるんだな」

 

妖ももちろん、人の事、神の事は言えなかった。

自分達・・・・・・いや、“奴等”も人を害をなす存在として襲っているのだろう。

那由多自身は世間を知らない故に、この考えは憶測でしかないのだが。

 

「他に何か目的があるとしたら・・・・・・」

 

那由多はふと父親であったあの鬼が別の鬼と話していた事を思い出す。

 

「確か、邪神様・・・・・・邪神に、何かを差し出すとか言ってたっけ」

 

おぼろげな記憶を手繰り寄せるも、出てくるのはその単語のみ。

自らの記憶力に那由多は思わず唸りながら頭を抱えた。

そう唸っていると目の前にふと黒い蝶が一匹通り過ぎ、その蝶を見た途端 那由多は背筋が凍る様な感覚に陥る。

蝶が向かう先はこの家の門・・・・・・否、塀の内側に居るという事は、玄関の方角。

外廊下から降り、蝶の後を急ぎ足で追う。

すると蝶は予想通りに玄関の前、外門の側で止まり、その場でくるくると旋回し始めた。

黙ってその光景を見ていると蝶は徐々にその数を増やしていく。

目を擦りながらもそのまま様子を窺(うかが)っているとやがて黒い蝶は人一人分程の高さに匹敵する程に集まり、そこまで集まってやっとその場からばらけて消えていく。

蝶が消えたその場には一人の青年が立っていた。

門から庭、草木へと移ろう青年の視線。

――ふと、目が合う。

その時那由多は背筋だけではなく、全身が凍り付くような感覚を覚える。

 

駄目だ。

 

那由多自身は、自分が何に対してそう思ったのかは分からない。だが本能は、身体は、勝手に動いていた。

青年へと飛び掛かり、顕現させた大斧を振り下ろす。

その青年はというと驚いた様に目を見開いた後、少しだけ横に動いた。

 

「なっ・・・・・・」

 

かわされた。そう分かるのにもちろん時間はかからない。

だが振り切った腕は止められず、大斧は地面に刺さり微動だにしなくなった。

青年はそんな那由多に近寄り、子供と話すかの様にしゃがみ目を合わせ話しかける。

 

「いくら力があるって言っても、それに頼っちゃあいけねぇな。

こういう両刃状の斧ならもっとそうだ。重心の掛け方、遠心力、その他諸々を考えて振らねぇと、今みたいに隙が生まれちまうし自分にも危険が伴っちまう」

 

言いながら、こん、と斧頭の部分を優しく叩き青年は笑う。

その笑顔を見、話を聞く余裕は今の那由多にはなかった。

彼が今見ているのは青年の“内側”。

見る限り青年には霊力だけではなく、別の力も混じっていた。

言うなればあまりにも“混ぜこぜ”の状態で、何故彼が意識を保ち力を使えているのかが不思議な程。

きっと彼が内に秘める力を全て使おうとしたら、自我が、精神が崩壊を起こすだろう。

唯一堪えられる方法があるとしたら、それは自分の持つ力を理解せず使わない事。

多分生まれつきで両親から伝えられていない、とかそういう事なのだろうと那由多は思った。

 

―――そう、そこまで考え、那由多はようやく青年に何者なのかと問う。

青年は数回瞬きをした後、自分は六家の人間だ、と答えた。

その回答を聞いても尚、那由多の中にある靄(もや)は晴れなかった。

いくら六家の人間でもそんな力を持った人間は見た事がない。

尤も那由多自身が知らないだけで、数十年、数百年前にはいたのかも知れないが。

 

暫くの間二人が沈黙と共に見つめ合っていると、九十九がその場に走り寄って来た。

 

「時雨さん! なんでここに!?」

 

問う九十九に青年――時雨は笑いながら「よぅ」と手を振り挨拶する。

そしてしゃがんだまま片手に顎を乗せ、九十九に話しかける。

 

「仮にも“妖”の前で他人の本名を呼ぶたぁ、随分とこいつを信じてるんだなぁ」

 

その時雨の言葉に九十九ははっとした顔で「ごめんなさい」と謝った。

しかし言葉自体はきついが、時雨本人は全く怒った声音や表情は見せず寧ろ微笑ましそうに笑っていた。

 

「心配すんな九十九。お前さんがこいつのことを信じているように、おらもお前さんの事を信じてる。だから、あまり気張るんじゃねぇ」

 

そう言いながら立ち上がったかと思うと時雨は九十九に歩み寄り、俯いている彼の肩をぽん、と叩いた。

それからそれほど間を空けず、玄関から金髪の男性が出て来る。

その姿を見た時雨は男性に対し再び軽い挨拶をしながら近付いた。

 

「やぁ時雨君、来てくれたのだね」

「おう、困ってるみてぇだったからなぁ」

 

時雨の言葉に男性は苦笑し「もう粗方終わってしまったがな」と答える。

 

「まだ何かあるのか?」

 

首を傾げながら時雨が九十九と男性から話を聞くと、どうやら那由多の所在を決めかねているようだった。

妖であるが故に下手に村の警らをさせると村人達を怖がらせてしまうし、那由多自身は家事も何もかも出来ず、ならば何ができるのかと問うと戦う事しか知らないと言う。

話を最後まで聞いた時雨はきょとんとした顔で「それならまだ一つ残ってるだろ」と声を上げる。

 

「那由多はよ、九十九の守り人になればいいんじゃねぇか?」

 

九十九にはまだ守り人いなかっただろ、と言い足しながら那由多の傍に行き彼の頭をぽんぽんと叩く。

守り人とは六家の当主の危機を救う、文字通りの存在だ。

当主達は勿論、次期当主達にも例外は無く一人一人に守り人が居る。

那由多は頭に疑問符を浮かべながら、九十九と金髪の男性は本気なのかと言いたげな顔で其々彼を見ていた。

 

「守り人にするには天神様の許可が必要だって、時雨さんも知ってるはずだよね?

それに天神様達は妖の事・・・・・・」 

「知ってるさ。でも説得すりゃ良いだけだろ?」

 

何を今更、と言わんばかりの軽い言葉に嗚呼いつものだと九十九の身体全体の力が抜ける。

 

「大丈夫さな、おらが説得してやるからよぉ」

 

九十九の反応を見た時雨はけらけらと笑いながらそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九十九と時雨の二人は、雷鳴の神祠(しんし)の前にいた。

那由多が居ないのは時雨が「最初は二人の方が良いだろ」と言ったからだ。

一見普通の小さい寺の様に見える祠にしては大きなこの建物は、神の住まう場所として村人の出入りが禁止されている。

だが理由はそれだけではなく、この神祠のさらに奥に進むことで見えてくる巨岩に一般人を近づけさせない為でもあった。

何故と問われれば、その巨岩には“妖の根源”である“邪神”が六天神の力によって封じられているが故である。

 

「雷天様、邪魔するぜい」

 

こん、と戸を叩きながら時雨は神祠の中へと入っていく。九十九もその後を追って中に入った。

二人を出迎えたのは、金髪を後ろで一つに結わえ、けだるげな黒い瞳で彼らを見つめる独創的な着物を召した背の高い男性だった。

 

『やぁ、よく来たね。出雲の子、それに九十九も』

 

話しかけてきた男性に対し九十九は「雷天様」と男性の・・・・・・否、神の名を呼ぶ。

時雨はというと雷天に軽く会釈し、早速本題に入らせてくれ、と若干急いた様子で切り出す。

九十九は先程までとは違う様子の時雨に疑問を持つが、雷天は全てを察した様に目を細め頷いた。

その反応に安堵の表情を浮かべ、時雨は口を開く。

 

「単刀直入に言うけどよ・・・・・・訳有りの妖を九十九の守り人にしてやってくれねぇか」

 

あまりにもあっさりと言い切った時雨に、九十九は驚き時雨と雷天の顔を交互に見る。

案の定、雷天は九十九が予想していた通りの顔になっていく。

ああ、怒ってる。九十九がそう思った時には既に周りに暗雲が漂っていた。

時雨もやっぱりかと言いたげな顔で、雷天を見つめていた。

そんな彼に当たり前だと言いたい気持ちを抑え九十九は雷天を宥めにかかる。

 

「ら、雷天様! 落ち着いて下さい! 本当にこれには訳があって・・・・・・!」

『訳が有ろうと無かろうと、妖に人を守らせる事なんてあってはならない。

・・・・・・妖は、消すべき存在だ』

 

黒かった瞳が金色に輝きを変え、辺りの光が落ちる。

その様子を暫く見ていた時雨は小さくため息を吐き、雷天の傍へと寄っていく。

 

「なぁ、その古臭い考え、もう捨ててもいいんじゃあねぇか」

 

放たれた言葉に、九十九は背筋を凍らせる。

神に対して、“古臭い”とは。

どう足掻いても、彼にしか言えない言葉だろう。

だが何故かその言葉で、辺りに漂っていた暗雲が勢いを無くしていく。

 

『古臭い考え・・・・・・? この世の掟の様なものだよ、これは』

「掟なら、塗り替えたってバチは当たらねぇだろ?」

『・・・・・・その考え、まるで闇天の様だね、出雲の子』

 

溜息交じりに吐かれる言葉に時雨は、はは、と笑う。

 

「その場で足踏みするよりは、新しい物事を受け入れていく方がこの世の為にも良いと思うぜ、雷天様よ」

 

金色の瞳が揺れ、時雨を見つめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづかない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その弐 「三の異端 ~炎の章~」

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ていた

 

俺が? 

 

・・・・・・否、“あいつ”が見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月雲家から帰ってきた俺は部屋にある鏡台に手をかけ、鏡の中の自分を見つめていた。

目に刻まれた印は、嫌でもあの日のことを容易に思い出させる。

 

自分の力の足りなさを思い知らされた、あの日の事を。

 

 

 

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この状態になってからというものの、俺の左目の視界は封じられ、普通の人間には見えないはずのものが“視える”ようになった。

 

・・・・・・妖がかって? 違う。

 

妖は物心つく前・・・・・・寧ろ生まれた時から見えていた。

六家の人間とは元来そういうものだ。

・・・・・・俺が言いたいのはもっと別のもの。

具体的に上げるとすれば、それは“瘴気のうねり”であったり、“生物の気配”であったり、それが感覚的にではなく、眼に直接“視えて”しまう。

挙句の果てには“あいつ”の夢を覗き見る事も出来る。

故意にではない、勝手にだ。

あいつの痣とこの目の印、だけじゃない。

忌天が関係しているのであろうことは、はっきりとしている。 

 

その上、毎度のことあいつが見るのは同じ夢。

何度見ても代り映えの無い場所と出来事。

川に落ち、水流に逆らえず流れていく落ち葉を見ている時の様に、同じ光景。

 

夢の中のあいつが何を考えているのかは分からない。

この目は、人の思考までは見せてはくれない。

あいつの考えは、今も昔も理解したくても出来ない。

前のあいつと何も変わらない。

あいつはただひたすらに隠し続ける。

確かに変わったものが一つだけあるのに、呪いの様に覆せぬそれは俺の苛立ちをより一層強めた。

 

自分がもっと、強ければ。

妖共が・・・・・・忌天がいなければ。

 

 

―――いなければ、どうなるのか。

いなければ・・・・・・今頃自分はどう過ごしていただろう。 

あいつは、生まれてこないんじゃないか。

 

こんなこと、考えても無駄だと頭では分かっている。

もう起こってしまった、過ぎてしまった事に過ぎない。 

 

鏡の縁を握り締め、深くため息を吐いた。

 

「分かってる、分かってるさ。

時雨に冷たくあたることが、御門違いだってことぐらい」

 

静まった部屋でぼそり、と独り言を呟く。 

 

「なんだ、分かっているならやめればいいじゃないか」

 

返って来るとは思っていなかった他者の言葉に内心驚きながらも、背後に立つ女性と鏡の中で目を合わせる。

 

「姉さん、気配を消して来るなって言っただろ」

 

呆れた顔で振り返り、姉を見る。

 

「すまないね、職業柄なんだ。

これが出来なくなってしまったら、私はきっとすぐ死んでしまうよ」

 

横髪の片側だけ編んだ綺麗な赤い長髪を揺らしながら、此方に近付き傍に腰を下ろした。

くすくす、と嫋(たお)やかに笑うその様は、きっと村人達の憧れの的になるのだろう。

だが俺は、小さい頃に散々手合せで負かされた記憶を忘れはしない。

 

「嘘つけ、気配が消せなくたって充分強いだろうが」

 

恨めしい目で姉を見るも、ふふ、と笑われただけだった。

姉がその優しい表情のまま、さっきのことだけど、と口を開く

 

「手遅れになってからじゃ遅いよ、なつ。

過去を見ていては前は向けない。先の事、未来の事を考えて動くんだ。

あの子を・・・・・・いや、今を受け入れなきゃいけないよ」

 

その姉の言葉に、俺は唇を噛む。

 

「わかってるってさっき言っただろ」

 

尚も崩れぬ姉の笑顔に身体ごと顔を逸らす。

 

「それは私に向けてではないだろう?」

「ああ言えばこう言う・・・・・・」

「それはお前もさ、なつ。姉弟だから似てしまうのだろうね」

 

姉は面白そうにくすくすと笑う。

 

「・・・・・・心配しなくていい。その内、きっと話す機会が来るさ」

「何を根拠に」

「・・・・・・私の直感さ。その時にしっかりあの子と向き合って、話し合うんだよ」

 

その言葉に思わず振り返る。

この人の直感は、よく当たるのだ。

 

「だからって、何を話せば」

「それも心配はいらない。向こうからふってくれるだろうからね」

 

お前の言う事は全てお見通しだ、と言わんばかりの早い返答に口を結ぶ。

この人には、勝てる要素が本当に少ない。

俺は姉に気付かれないように小さな溜息を吐いた。

 

すると足音が部屋の外から聞こえてきて、間も無く声が掛けられる

 

「お二方、仕事が来ていますよ。サボっていないで働いて下さいね」

 

そこに居たのは、至極色(しごくいろ)の髪に褐色の肌、何を考えているか分からない糸のように細い瞳をした高身長の男。

 ・・・・・・俺の守り人だ。

 

彼は片手に紙を持ち、これ見よがしにひらひらと揺らしている。

姉は立ち上がり、着物の裾を払う。

 

「さて、私は言いたい事は言ったし満足したよ。

・・・・・・なつ、よく考えておくんだよ。彼と話し合わなきゃいけないものを」

 

そう言い残し、姉は男から紙を一枚受け取り去って行った。

 

「考えておくって言われたってなぁ・・・・・・」

 

今のあいつと話したい事なんて、何一つもない。

だと言うのに、何を考えろって言うんだ。

一人で考え耽っていると、怒気の混じった声が聞こえてくる。

 

「夏希(なつき)様・・・・・・? 仕事をして下さいって言っていますよねぇ・・・・・・?」

 

いつの間にか目の前に来ていた男の声に驚き顔を見上げながら、わかったから、と紙を奪うように受け取り、内容に一通り目を通す。

 

「・・・・・・晴歩(はれふ)、三下(さんげ)、広枝(ひろえだ)に同一の妖の目撃情報?

ただ単に似ているだけって話じゃないのか?」

 

自分の問いに、いえ、と男は答える。

 

「どうも同じ妖のようでして。三つの村を行き来して子を攫っている様ですよ」

 

そこでまた俺の頭の中には疑問が上がる。

 

「何故子を攫われた親は報告してこない?」

「・・・・・・親は子を攫われた際、殺されているそうで」

 

それでも周りの人間が気付くんじゃないか。自分の言葉に、男は首を振る。

まるで最初から居なかったかのように、死者の知人の記憶はすり替えられていると。

 

「忽然と居なくなったわけじゃなく存在そのものを史実から抹消されてるのか?

神隠しとすら言えない・・・・・・笑えない話だな」

 

俺の呟きに男は含み笑いをして口を開く。

 

「ですがね、その妖の力にも抜け道はあったのですよ。死者の“知人以外”の記憶は変えられていない。だから今回、その“知人以外”から依頼が我々に舞い込んだ。

空き家が増えてきていることを訝しんで。

・・・・・・まぁ、つまりはその妖はその程度、と言ったところですかねぇ」

 

愉快そうに話す男に、その油断が命取りになるぞと諭し落ち着かせる。

男は失礼、と咳払いをし此方を見つめ直した。

 

「とりあえず、晴歩から見て回るぞ。いいな?」

 

紙を男に返し、着物を着替え始める。

男は部屋の外へと戻り、そして振り返って一言。

 

「不肖、この紅(くれない)、夏希様の為にこの世に居ます故・・・・・・貴方の意見に異存等は御座いません。

・・・・・・あと、外で待っていますから、支度が終わり次第出てきてくださいね。わざわざ出迎えとか、面倒なので」

 

一礼をした後のいつもの男の言葉に、思わず気と力が抜けそうになるも耐えた俺を誰か褒めてほしい。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――見慣れた村の中を歩く。

それだけで子供達は俺に寄って来て、無邪気な笑顔を振り撒いてくれる。

 

「また遊びに来てくれたの!?」

「ねぇねぇおにいちゃん、今日はなに話してくれるの?」

「おい! 日酉(ひどり)さまって呼べって言われてただろ!」

 

近付いて来て話しかけてくれる子供達に申し訳ない気持ちになりながら苦笑し、今日は仕事で来たんだと断りを入れる。

子供達はそれなら仕方がない、といった様に各々またねと手を振り礼をしたりしながら遊び場へ戻っていった。

そこで男―――紅が、ぽつりと囁きかけてくる。

 

「よいのですか? 夏希様。子供達を守りながら妖を迎撃するチャンスなのでは?」

 

その言葉に俺は首を振る。

紅は何故かと聞きたそうに首を傾げてきた。

そんな疑問はお構いなしに、俺は村のはずれまで歩いていく。

 

そして空き家の並ぶ場所で止(とど)まり、目を閉じてから眼鏡を外す。

 

「子供達に怖い思いをさせる前に、妖を探し出して殺す。

・・・・・・今の俺には、それが出来るからな」

 

それに、瘴気は既に見えてた。そう紅に対して言いながら、次に目を開いた時。

俺の左目には辺りに漂っていた瘴気がより一層濃く見えるようになっていた。

 

「やっぱり、硝子越しで見るのとは全然違うな」

 

言いながら奥へと進む。紅も、一歩間を空け黙してついて来ている。

あの時、今回の妖はその程度と紅は言っていたが、これほどまでに濃い瘴気を出すのはせめて“大妖怪”位にならなければ不可能。

 

「こりゃあ日酉(うち)に依頼が来るわけだ」

 

不敵に笑う俺に後ろの男は「油断するなと言ったのは誰でしたっけねぇ」と溜息を吐く。

その矢先に目の端の瘴気が蠢くのが見え、素早く術を込めた札をそこに投げるもそこに妖の姿は見えない。

障害物に当たらなかった札はそのまま地に落ち、焼け燃えた。

 

「・・・・・・姿を消せるのか?」

 

周囲を見渡しながら呟いた言葉に紅が、違いますねと首を振った。

 

「地面です、夏希様」

 

そう言いながら、さっきの地面を指し示す。

言われるがままにその場所見るとそこには掌程の大きさに加え、底が深い穴が空いていた。

 

「先程の夏希様が放った御札で地面が焼かれ、残った欠片が底に落ちたのでしょう。

結果、妖の通った穴がひらいた、と。さて、どうしますか? 逃げられたようですが」

「・・・・・・いや、まだ奴は此処に居る。・・・・・・瘴気が薄れてない」

 

懐から三枚の札を取り出しながら答え、目配せする。

紅は「了解しました」と言い俺から数歩下がり、手に持っていた弓に矢筒から取り出した矢を番(つが)えた。

 

「妖風情が、俺から逃げられると思うなよ・・・・・・今すぐ炙り出してやる・・・・・・!」

 

豪炎、鋼刃、重撃と其々(それぞれ)書かれた三枚の札を足元に落とし、踏み付ける。

その次の瞬間、足元から熱風が巻き起こった。

そして俺の足には踏み付けた札から燃え盛った炎が巻き付いて足全体を覆い、まるで元々そこにあったかの様な炎の装飾となり定着する。

紅はその様子を見ながら「いつ見ても熱そうですよねぇ」と一言漏らした。

―――姉さんの方が酷いだろ。手でやるんだぞ、これを。

その俺の言葉に紅は心の底から困ったような顔をしてやれやれと首を振る。

 

さて、と一息ついて、俺は足を振り上げてすかさず踵から振り下ろす。

それに呼応するかのように装飾からは炎が燃え上がり、空を焼いた。

 

「まだ使い慣れねぇけど、調子は良いな」

 

満足気ににやりと笑うと、またもや紅が口を挟んでくる。

 

「試運用中のものを使おうとするなんて、気でも狂ったのかと思ってしまいますよ」

「あのなぁ・・・・・・逆に実戦で使わなきゃ分からない事もあるだろ」

 

それに、今回は試すのに打って付けの相手だ。

空き家が並んでいるが故に、森を焼いてしまうだとか人を巻き込んでしまう等と周りを気にせずに済む。

そうしていると、遠方で瘴気が蠢き地面が盛り上がっていくのが見えた。

 

「紅、あそこだ」

 

俺が指した場所に紅は間髪を入れず矢を放つ。

地に矢が刺さったと同時に鈍い奇声が上がり、地面から矢を刺された妖が姿を現した。

つちのこの様な見た目をした大人の脚程の大きさの、黒茶色の身体。

・・・・・・成る程、子供一人は飲み込めそうな大きさだな。

それほど間を空けず出て来た奴の身体を思い切り蹴り上げる。

またも「ぎぃ」と鈍い声。斜め上の空中へと妖の身体が飛ぶ。

それと同時に妖の口から俺の顔に向かって、粘液の様なものが噴出された。

 

「な・・・・・・っ!」

 

咄嗟に腕でそれを防ぐ。

痺れる様な強い痛みに思わず防いだ方の腕を見ると、その部分だけ赤く爛れていた。

 

「消化か腐蝕か・・・・・・? 何とも言えねぇ妙なモン使ってきやがって・・・・・・」

 

・・・・・・月雲家に行くの確定したな、これは。

その様子を見ていた紅は俺に近寄り「無いよりは良いでしょう」と布を手渡してくる。

それを素直に受け取り布を腕に巻きつけていると、紅がぽつりと呟く。

 

「いやはや、完全におやりになったと思ったのですが。

・・・・・・ふむ、奴には灸を据えた方が良さそうですねぇ」

 

そう言い紅は金色の目を開く。睨む先はとうに地に落ち蠢く妖。

男の周りに漂っているのは紛れもない殺気。

・・・・・・おいおい、今のでキレたのか? 片腕を怪我しただけだぞ。

 

「おい、落ち着け。死んだわけじゃない」

「落ち着いていますよ・・・・・・少々頭に来ているだけです」

 

それで落ち着いてるって言えるお前の頭はどうなってるんだ。

 

「貴方に傷を付けたのです・・・・・・許せる方が可笑しいでしょう。

奴は私が、」

「・・・・・・だから冷静になれ! 今のは完全に俺の油断だ。

それに、お前の武器じゃ決定打は与えられねぇって毎回言ってるだろ!?

っんとに・・・・・・めんどくせぇなぁお前は!」

 

どん、と思い切り紅の背中をどつく。

本当は頭を殴ってやりたいところだが、悔しいことに背が足りない。

やられた当の本人は若干痛そうに顔を顰(しか)め、「ですが」と不服そうにしている。

 

「お前がさっき言ったんだろ、俺の言う事は聞くって。

大体過保護過ぎるんだお前は・・・・・・良いから大人しく後ろに居ろ、馬鹿が」

 

そう伝えると少しの間の後、苦い顔をしてわかりましたと頷いた。

 

―――紅は前衛には向いていない。

と言うのも、こいつは足に少しだけ障害がある。

長い間、とある事情で瘴気にあてられていたせいで、麻痺しているのだ。

と言っても、歩けない程ではないらしいが。

こいつの肌と髪、目の色も、その事が影響している。

 

だから正直な話、こいつには戦ってほしくはない。

だが、そう言うとこいつは強く拒んでくる。

 

私は恩を返したいだけなのです、と。

 

 

 

――ふと、地に落ちた妖が徐に動き出す。

俺はその様子を横目に見て、舌打ちをし構えた。

 

「たかが会話に時間をかけ過ぎたか・・・・・・」

「・・・・・・申し訳ございません、夏希様。

守り人としての汚名はたった今、ここで挽回させて頂きます」

 

会釈した後矢筒から三本の矢を取り出し、今にも襲おうとしてきている妖の方へ向き直って矢を弓に番える。

一本ずつ迅速に放たれた矢は飛び掛かってきた妖を撃ち、家屋の外壁に捕らえた。

捕らえられた妖は突然の痛みに悶えている。

とどめはどうぞ、と言わんばかりの笑顔で紅は奴を掌で示す。

俺は苦笑しながらその場所へと向かう。

 

「さて、さっさと燃やして・・・・・・、・・・・・・!?」

 

近付いた事により、妖の腹が不自然な形に膨らんでいるのがわかった。

 

まるで、人の様な――――

 

 

「っ、まさか・・・・・・!」

 

捕らえるために刺されている矢を一本だけ抜き取り、念の為に術を込め妖の腹を裂く。

鼓膜を破られるかのような妖の奇声が辺りに響き渡り、妖の身体の力は徐々に抜けていった。

 

―――開かれた腹の中には、女の子が一人。

 

後ろに居た紅は顎に手を当て、眉をひそめている。

・・・・・・これは、こいつが驚いている時にやる仕草だ。

そんな紅を後目(しりめ)に俺は急ぎ女の子の脈を測ろうとする。

だが女の子が小さく呻き目を開いた為、ほっと息をつく。

痛む腕を酷使し、女の子を抱きかかえて妖の腹の中から助け出すと、それを待っていたかのように妖の姿は霧となって消えた。

 

俺は女の子を壁に凭(もた)せ掛け、座らせてから話しかける。

 

「・・・・・・お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

 

身体を支えてやりながら、頭に優しく手を置き、極力怯えさせないように。

女の子は虚ろな目で此方を向き、瞬きをして、考える様に首を傾げた。

 

「・・・・・・わたし、お爺ちゃんをさがしてて・・・・・・それで・・・・・・どうなった、の?」

「きみは、化物に連れ去られそうになってたんだよ」

 

途切れ途切れに出る彼女の言葉は弱々しく、改めて彼女が危なかったのだと悟らせる。

―――後少し、ここに向かって来るのが遅かったら。

そうだとしたら、この子はきっと妖の体内に元々ある瘴気にやられ、死んでいただろう。

不本意ながらにもしもの事を考え、思い切り首を振った。

既に助けたのだから、それはもう考えなくて良い。

 

「自分の家は? わかるかい?」

 

俺の問いに、女の子は少し間を空け「わかる」と答える。

 

「でも、お爺ちゃんを探しに・・・・・・他の村に、行こうとしてたの」

 

女の子の言葉に、俺は首を傾げる。

 

「両親は?」

「・・・・・・居る」

「? ・・・・・・家出でもしたのかい?」

 

その言葉を聞いた女の子は悲しそうな顔をして首を振り、否定した。

 

「わたし、お父さんとお母さんに捨てられちゃったの。

捨てられた後すぐに・・・・・・お婆ちゃんから、爺さまに会わせてって頼まれて。 

だから一緒に爺さま・・・・・・お爺ちゃんを探すことにしたの」

 

まるで言葉を選んでいるかの様な話し方に疑問を感じながらも俺は女の子の話を聞いていた。

すると女の子はよろめきながらも立ち上がったかと思うと、俺に向かってお辞儀をする。

 

「ありがとう、おにいさん。助けてくれたんです、よね?

・・・・・・本当に、ありがとうございます」

 

そう言って、女の子は無邪気にほほ笑む。

―――お礼の後の語尾に聞こえた単語は、小さ過ぎて聞き取れなかった。

紅も意味は分からないまでも何かを言ったのは分かったようで、訝しげに目を開いている。

俺は微かに瞬きした後、女の子に笑いかけた。

 

「他の村に行くのなら、送って行こう。また危ない目に合うと困るだろうから」

 

そう言うと女の子は「本当ですか?」と嬉しそうに笑ってくれた。

 

「実は道、分からなくて。困ってたんです!」

 

笑ったまま困った顔をし、ホッと胸を撫で下ろす様な仕草をする。

 

「ははっ、じゃあ俺が助けに来て正解だったかな」

 

村の人達に、他の村へ行く方法を知ってる人は少ないだろうし。

呟くように言うと女の子は目を瞬かせて「もしかして、六家のひと?」と一言。

それに対して俺は「じゃなきゃ妖退治なんて来ないだろう?」と答える。

すると女の子はそれもそうですね、と可笑しそうにしていた。

 

俺達の会話を聞いていた紅はと言うと、尚も難しい顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺達は自分たちの村の近くにあるものよりも一層暗い森を抜ける。

抜けた先は、少し白みがかった家々が並ぶ大きな村。

女の子の方へ振り返り、此処に来たかったのかと尋ねる。

すると女の子はそうですと頷き、一礼する。

 

「助かりました、本当にありがとうございます!」

 

律儀な子だ、などと思いながら「どういたしまして」と笑い掛ける。

そしてそのまま、村の入口の反対側に見える建物を見つめる。

 

あいつは、もう帰って来ているのだろうか。

少しぐらいは顔を見に行くべきだろうか。

だけど、朝に会ったばかりだし、用もない。

・・・・・・話すことも、ない。

 

静かに目を閉じて視線を戻し、女の子に話しかけた。

 

「じゃあ、気を付けてな。此処は他の何処よりも――――“安全”で、“危険”だから」

 

俺が言った言葉に首を傾げる女の子に別れを告げ、来た道を戻る。

さっきのように、紅はまた数歩後についてきていた。

 

「安全で危険・・・・・・言い得て妙、ですねぇ」

 

笑う紅に「笑い事じゃないぞ」と釘を刺し、歩を早める。

言葉の通り、あいつがいる限りあそこは最も安全で、それでいて最も危険な場所。

恐らく奴にやられればあそこが・・・・・・あの村が、一番に“落ちる”だろう。

奴さえ現れなければ、あの場所は何処よりも安全なのだ。

 

そして真似た言い方をするなら、今のあいつには何も起こらないと安心出来る。

だが・・・・・・その反面、全てを忘れてしまった今が、一番危ないのかもしれない。

 

 

振り返り、もう一度先程の建物を見つめる。

 

 

 

 

 

 

“物”の見えぬ左目が、ちり、と痛んだ気がした。

 

 

 

 

 

その壱 「三の異端 ~雷の章~」

 

 

 

 

 

何一つ、不自由のない生活をおくっている


何一つ、変わり映えの無い日常を過ごしている

妖と戦い、人々に平穏をもたらし、束の間の休息を与えられ・・・・・・それを繰り返す



俺にこの“痣”と、昔の記憶がないこと以外は、至って平穏だ。














浅紫色の髪を揺らし、女性は彼らを見てにかりと笑う。

「異常はない」・・・・・・その言葉を何度聞いた事だろう。

 

灰髪の青年は、安堵したように肩に手を添えながらほっと息を吐く。

赤髪の青年はやや腑に落ちない様子で、目を閉じ顔を顰(しか)めている。

黒髪の少年―とはいえ、二人よりも背は高いが―は、灰髪の青年と同じように息を吐いた。

 

そんな三人の様子を見て、女性はけらけらと笑う。

 

「三人共、気を張りすぎちゃいけないよ。ただの検査みたいなものなんだからさ」

 

その言葉に黒髪の少年が、はは、と苦笑を溢す。

当の本人達にとっては冗談抜きに“異常”があってはいけない。

正直な話、気を張らない方が可笑しい話だ。

・・・・・・自分はまだ良いのだが、二人は特に気を張るだろう。

 

微妙な空気が流れる中三人の後ろにある襖が勢いよく開き、前に居る女性と同じ浅紫色の髪を二つに結わえた少女が現れた。

 

「かかさま! 皆が来たら教えてって言ったじゃん! というか起こしてよ!」

 

少女は大声で女性(ははおや)にまくし立てる。

女性はやれやれ、と言った表情で溜息交じりに話す

 

「起こしても起きなかったのはお前さね。私は悪くないよ」

「うっ・・・・・・そ、それはぁ・・・・・・」

 

少女は思わず口ごもった・・・・・・と思いきや、次の瞬間には三人の方へと目線が向かっていた。

 

「そんな事より、大丈夫だった? 異常は? どこにもなかった?」

 

そう言いながら三人にずかずかと近付き目の前に座った。

まるで嵐の様な彼女の言動にたじたじになる黒髪の少年と、うんざりしている様子の赤髪の青年を横目に、灰髪の青年が制止を掛ける。

 

「まぁ待て灯(あかり)、そんなに心配しなくても今回も特に何もなかったぜぃ。いつも通りさ」

 

そう言いながら、自身が灯と呼んだ少女の頭を笑いながら撫でた。

ならいいけど、と彼女は安堵の息を漏らす。

 

そんな二人を見ていた赤髪の青年が、徐(おもむろ)に立ち上がり部屋を出て行こうとしていた。

それを黒髪の少年が引き留めようとするも、彼は一瞥したのみで廊下の向こうへと消えていく。

赤髪の青年の行動を見ていた灯は頬を膨らませた。

 

「もー! なっちゃんてばー! 終わったら皆で一緒に修行しよって昨日言ってたのにー!! 空気読んでよねー!」

「・・・・・・仕方ないよ。二人はあの日以来、ずっとあんな風なんだから。

・・・・・・二人で一緒に居てくれる事自体珍しいし」

「もー! もぉー!! 九十九(つくも)はそれで良いわけ!?」

「良いも何も、本人たちじゃなきゃどうしようもないからさ・・・・・・」

 


灯を宥め(なだめ)、黒髪の少年――九十九と呼ばれた彼は少し悲しそうな顔をして灰髪の青年を見る。

その彼はと言うと、何とも言えない複雑な表情で廊下を見つめ頭を掻いていた。

そんな彼に女性が、忘れていた、と声を掛ける。

 

「・・・・・・まだ何も思い出せそうにないかね?」

 

その言葉に青年は振り向いて驚いた顔した後(のち)、笑う。

 

「残念ながら、なぁんも」

 

青年の表情は、笑っていても・・・・・・否、確かに笑っているというのに、少しの感情も感じられなかった。

 

――まるで、人形のように。

 

あぁ、でも、と青年は口を開く。

 

「夢は見る。同じ夢を何度も何度も。

白い髪の女の子と、黒い髪のおっさんがいて。

一つの部屋みたいなところで何か話してて・・・・・・その一瞬しかない夢だけどよ。その夢を何度も、何度も見る」 

 

天井を見つめながら、思い出す様に話す青年はどこか遠くを見ているようで。

思わず九十九が話しかけようとすると、青年は何かを思い出したかのように手を叩く。

 

「いけねぇ、依頼が入ってた事忘れちまってた! ありがとよ小母さん! また来週も頼むな!」

 

そう言うと彼は立ち上がり、自身の言葉遣いとは似つかわしくない礼儀正しい一礼をした後、手を振って足早に帰って行った。

女性はまたやれやれ、と苦笑いし立ち上がると奥の部屋へと入って行く。

 

残されたのは灯と九十九のみ。

はぁ、と二人は同時にため息を吐いた。

 

「なんだろうなー・・・・・・ほんと、あの二人は。

私達に何も言わないし・・・・・・年上だからって、ぜぇんぶ抱え込んじゃってさぁ」

「仕方ないよ、男は皆そんなものだから。僕もきっと、同じ立場ならそうするさ。・・・・・・でも違う立場だからこそ、こんなにも心配しちゃうんだろうね」

 

九十九の言葉に灯はまた深い溜息を吐く。

・・・・・・そんな部屋の外で、響く物音。

ふと九十九は耳を澄ます。人数は・・・・・・三人程。それも子供。

 

・・・・・・頭の中で浮かんだ三人に、ふ、と笑いがこぼれる。

それを訝しむように見た灯に対し「お客さんみたいだ」と笑いかけた。

 

そうして間も無く廊下に立ち連なる三人の子供。

 

「あれー? 風っ子達と竜太郎(りゅうたろう)だー」

 

そこに居たのは萌葱色の髪をした瓜二つの顔をした二人の子供と、その二人より少し大きい背丈をした浅葱色の髪の竜太郎と呼ばれた少年。

声を掛けられた双子は表情を輝かせて交互に喋り出す

 

「あかり! あかり! しゅぎょうするって聞いてきたよ!」

「つくも、つくも、ぼく達もまぜてほしいな! 遊びたいな!」

 

二人とも目をらんらんと輝かせ期待に満ちた表情で灯と九十九を見ている。

その二人はと言うと、顔を見合わせ苦笑した。

 

「ごめんね風っ子たちー・・・・・・約二名が逃走して全員での修行はお預けなのさ!」

「「えー!!」」

 

思った通りの双子の大ブーイング。予想はしていたから大して驚かない。

すると竜太郎が聞き辛そうに何かあったのか、と聞いてくる。

灯が首を振り「いつもの」とだけ答えると彼は成る程、と納得した様だった。

 

「風子と風太に連れられて来たんですけど、何もないなら帰った方が良いですよね。

・・・・・・僕、家の仕事を手伝わなきゃいけないですし、失礼します」

 

苦笑いをしながらそう言ってぺこりと頭を下げると、竜太郎はしっかりした足取りで来た道を戻っていった。

そんな彼を見た双子は騒ぎ出す。

 

「えー!? りゅーたろー! まってよー!」

「えー!? ぼく達とあそぼうよー!」

「いやだよ! 君達と遊ぶと疲れるんだから! 大体ここに来るのだって―――」


双子は竜太郎と言い合いをしながら彼の後をばたばたと追いかけて行く。

灯は困惑顔で思わず「なにしにきたのあの子達」と呟いた。

九十九はと言うと、ははは、と笑いながら


「さて、僕も帰らないと。雷天様に怒られちゃいそうだ」

 

と言い、立ち上がって服の乱れを整える。

灯はそんな彼を見上げ、真剣な表情で「気を付けるよーに」と一言。

そんな彼女に大丈夫だと笑いかけ、九十九は帰っていった。

残された一人の少女は、憂いを帯びた瞳で呟く

 

「何で、幼馴染だっていうのに、何もしてあげられないんだろ」

 

一人は親友に対し心を閉ざし、一人は記憶を無くし、一人は妖の支配と隣り合わせ。

灯は自らの膝を抱え、そこに顔を埋(うず)める。

 

「何も出来ないとかー、六家さいきょーの名が泣いちゃうじゃん・・・・・・」

 

・・・・・・少なくとも、自分が修行中の身である事は理解している。

だが拭いきれない歯痒さに、苛立ちを覚えてしまうのだ。

膝を抱える自身の腕の力に、強さが増した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何気なく、いつもの道を歩いていた。

・・・・・・そして何気なく、森の中を覗いた。

何故そんな行動をしたのかは、自分でもわからないけれど

――でも、間違ってはいなかった、と今では思う。

 

 

 

 

木々の間の道。そこに居たのは、頭髪の上から下にかけて青から紫に変わっていく

とても人間のものとは思えない髪色をした少年。

 

・・・・・・見た限りでは、僕と同じぐらいの歳だろうか?

 

「なぁ、こんな所で何してるんだ?」


何の戸惑いもなく、少年に声をかける。

 

瞬間、刃の切っ先が視線の端から端へと通り越した。

既の所(すんでのところ)で攻撃を躱(かわ)しながら、腰に掛けていた刀を鞘ごと抜く。


「物騒な武器だな」

 

そう一言呟くと、目の前の少年―――否、人型をした妖は、柄物(えもの)を左手から右手に持ち直し、片手で肩に担ぐ。

見た感じ、彼の背丈ほどの大きさの大斧の様だ。

それにさっきは後姿しか見ていなくて気付かなかったけど、酷い怪我が数ヶ所見受けられた。


「・・・・・・人間が、何しに来たんだ」

 

こっちを睨む瞳は、眩(まばゆ)い金色に輝いている。

だけどその視線を気にもせず、僕は陽気に話しかけた。

 

「凄いな! そんな大きな武器を片手で持てるなんて! 僕には出来ない事だし、羨ましいや」

 

すると妖の少年は「はぁ?」と思わず気を抜かし、困惑している様子だった。

・・・・・・うん、やっぱりか。僕の予想通りだ。

少年は、はっと我に返り呆れたような口調で話す。

 

「当たり前だろ? 人間とは体の構造が違うの。弱っちい人間なんかと一緒にするなよ。お前阿呆じゃないか?

それとも殺されたいのか?」

 

御尤(ごもっと)もな返事に、思わず笑う。でも、殺すつもりなら話なんて乗らないだろ? 

そう伝えると、彼はぐ、と言葉を飲んだ。

 

「何かあったんなら、話してくれても良いよ。僕は他の“六家”とは違う。

・・・・・・妖には、理解があるんだ」

 

少なくとも彼は他の妖とは違い、人に殺意を向けきれていない。

僕の言葉に驚いた顔をすると、暫くして言い辛そうに実は、と口を動かした。

 

だがそれも束の間、彼の背後から巨大な棍棒が飛んでくる。

咄嗟に僕は鞘から刀身を抜き、彼を押し退け回避させた。

そして“それ”を鞘と刀を交差させながら受け止めて、彼を退かせたのとは反対の方向へと受け流し、ほっと一息つく。

 

「・・・・・・危ない危ない。流石に刀、折れるかと思った」

 

まだ手に残る反動の余韻を確かめながら、それが飛んできた方向を見遣(みや)る。

そこに見えたのは見間違えようもなく、青い巨大な体躯(たいく)の“鬼”と言うに相応しい人型の妖。

その容貌を見た僕は無意識に少年の方を向き、成る程、と納得する。

きっと彼は“鬼”の一族なのだろう。

だからこそ、自分の背丈ほどの大斧を軽々と持ち上げて尚平然としていたのだ。

 

だが注目すべきはそこではなく、彼の“身体の大きさ”にある。

彼は鬼にしては小さく、それでいてか細い。

噂では、鬼は大人になれば大斧などの巨大な武器を持てるようになるが、子供には重くて持つ事が出来ないのだと聞いた事がある。

それだと言うのに、容姿的に少年にしか見えない上、むしろ鬼より人に近い見た目の彼は容易に大斧を持ち上げ振り回していた。

 

それを踏まえれば、この一連の出来事に予想はつく。

 

「・・・・・・異形の迫害、か」

 

ぽつりと呟いた言葉に、彼が微かに反応した。

それを尻目に、はぁ、と小さく息を吐く。

 

「僕達人間も、他人(ひと)の・・・・・・いや、妖の事は言えないけど。

・・・・・・やっぱり実際に見ると、余り気分の良いものじゃないな」

 

言いながら、居合いの構えをとる。

 

 

 

 

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鬼は大口を開けて笑いながら、重低音の声をその場一帯に響かせた。

 

「気分の良いものではない? ハハハ! だからどうしたと言うのだ。

・・・・・・退(の)け小童(こわっぱ)。儂はそこの出来損ないに用がある」

「断る。たとえ妖であれど、僕の様な子をこれ以上増やすわけにはいかない」

「そうか・・・・・・ならば貴様も潰すまでよ!」

 

 一際大きな声を上げたかと思うと、鬼は何もない所から棍棒を顕現(けんげん)させた。

それに対し僕は思わず目を見張る。

 

「今の一体どうやって・・・・・・って、うわっとっと!」

 

頭上に振り下ろされる鈍器を紙一重で避け前転し、背後に回り込んで脹脛(ふくらはぎ)を深く斬りつける。

森に響く、鬼の声。それでも尚、冷たく言い放つ。

 

「青鬼さん。僕なんかに斬られる様じゃ、“他の皆”には手すら触れられずに終わるよ」

 

一つ、二つ、三つ。

 

「だけどもうそんな事、関係ないかな」

 

下から順に、素早く急所を突く。

 

青紫の眼光の軌跡は雷光の様に奔(はし)り、その様(さま)はまさに“稲妻”の如く。

 

次の瞬間には血濡れで倒れた青い鬼と、それを見下ろす黒い少年がその場に在った。

刀に付いた血を払い、鞘にしまう。

“それ”を見ていた妖の少年は、為(な)す術(すべ)もないままその場で呆けている。

ふと僕が其方(そちら)を見ると、彼はようやっと口を開く。

 

「あんた、見かけに寄らず強いんだな」

 

・・・・・・随分と失礼なことを言われた気がするけど、正直な話自分でも自身が弱そうに見えることは自負している。

すると少年は、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

 

「あのさ、そいつ・・・・・・俺の親だったんだ」

 

ふらりと立ち上がり、死体に近付く。

 

「鬼の一族に、途轍(とてつ)もなく誇りを持っててさ。

・・・・・・だからこそ、“鬼に成らない”俺を、殺そうとしたんだろうな。

本当は人間の子なんじゃないかって・・・・・・紛れもなく、俺はこいつの子だったのに」

 

呟きながら、鬼の持っていた棍棒をひょい、と持ち上げそれを悲しそうに見つめる。

そんな力持ちの人間、いるはずがないんだけどな。

閉じられた世界に居ると、そんなにも視野が狭くなるのか。

 

―――まるで、彼の話が自分の事の様に思える。

 

ふと僕は彼に笑いかけ、彼の名を何気なく聞いた。

彼は少しの躊躇(ためら)いを見せるも、はっきりと「那由多」と答える。

 

「あんたは?」

「ん?」

「・・・・・・あー、その・・・・・・あんたの名前も教えて欲しいなってさ」

 

恥ずかしそうに頬をかき、那由多は僕から目を逸らす。

僕はそれを見て笑いながら、自分の名を名乗る。

 

「僕は来城(らいき)九十九。来城家の・・・・・・次期当主だよ」

 

“次期当主”と名乗る事に若干のむず痒さを覚えながら、しっかりと言葉にする。

すると那由多は目を見開き驚いた顔をした。

 

「あ、あんた・・・・・・“六家”の人間だったのか・・・・・・

全然力を感じないから、普通の人間だと思ってたぞ・・・・・・? なんでだ?」

 

呆気に取られた様子の彼の言葉に思わず苦笑する。

 

「君の言う通り、僕は力を持ってない。要するに霊力も持ってないし

視る事しか出来ない。・・・・・・だから、それを補うために体を鍛えてるんだ」

 

自分の目の前で拳を握りしめて彼の方に向き直し、彼が持っていた棍棒を両手で受け取る。

それに対してまた那由多は口を開けて驚き、僕はまた苦笑しながら話し始める。

 

「僕は、君と同じなんだ」

「同じ?」

「親に捨てられて、来城家に拾われた。それ故に術が使えない・・・・・・養子だから」

 

その言葉に那由多は首を傾げ「もしかして人間じゃないのか」と聞いてくる。

否、僕は紛れもなく人間だ。

 

「さっき言っただろ? “人間も妖の事は言えない”って。・・・・・・そういう事だよ」

 

遠くを見て微笑みながら「流石にずっとは持ってられないな」と言って棍棒を下ろす。

そして彼を見、思いついた事を提案する。

 

「那由多・・・・・・もし行く当てが無いのなら、僕の所へおいでよ。

その、他の所と違って天神様の“出入り”が激しいけど・・・・・・ちゃんと僕が説明するから」

 

那由多は目を見開き、呆けている。さっきからその顔ばかりだと思わず吹き出す。

僕の言葉に頬を膨らませ、仕方ないだろ、と顔を逸らす。

 

「今日は、初めての事ばっかなんだ。そりゃこの顔ばっかになるだろ」

 

頬を押さえ、小さい声で文句を言いながらも、此方を不安そうな瞳で見てくる。

 

「でも良いのか? 俺、妖なんだぞ? 絶対怒られるだけじゃ済まないだろ」

「・・・・・・良いんだよ。妖だからって、疎外する理由なんてない」

 

微笑みかけ、手を差し伸べる。彼は戸惑いながらも僕の手を取った。

 

「なぁ」

「うん?」

「アニキ、って呼んでいいか」

 

突然の言葉に、今度は僕が呆気に取られる。

 

「なっ・・・・・・なんで? い、いや、良いんだけどさ」

 

思わず声が裏返った僕に対し、那由多はお返しとばかりに吹き出した。

そして、真剣な目になり、此方を見つめる。

 

「じゃあ、アニキ。・・・・・・あんたは、俺の命の恩人だ。

俺、あんたみたいに強くなりたい。そんで、あんたを守れるようになりたい。

それがこの馬鹿力しか取柄(とりえ)のない、ただの妖の俺に出来る唯一の恩返しだから」

 

握る手に、力がこもった。

真っ直ぐで透き通った、強い意志を宿した瞳で見てくる。

暫くの沈黙のあと、僕はふ、と笑い、彼の手を引いた。

 

「うん、わかったよ。・・・・・・まずは、雷天様に紹介しなきゃな」

 

僕は妖と・・・・・・否、一人の少年と共に帰路に就く。

 

 

 

 

 

 

 

その零 「天に神の漂いし空の下の記録」

 

 

 

 

 

 

 

何一つ、不自由のない生活をおくっていた

 

何一つ、変わり映えの無い日常を過ごしていた

 

妖と戦い、人々に平穏をもたらし、束の間の休息を与えられ・・・・・・それを繰り返すだけだった。

 

今日までは

 

この時までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、目の前に佇んでいるのは夢で何度も出会った少女

不敵な笑みを浮かべ、此方を見ている。

 

彼女は言った。お前は人として生まれたのではなく、ただの器なのだ、と。

だが、理解は追いつかなかった。何分、人間として自らの意思を持って生きてきた故に、自分がただの傀儡(かいらい)だった等と信じたくもない。

そしてまた、少女は笑う。

何にも興味を持てない自分に、違和感を感じたことがあるだろう。

不自然なほどに感情の起伏が乏しい自分に、妙だ、と思っただろう。

六属性の術を全て扱える自分が、おかしいと思ったことがあるだろう。

 

全くもって寸分の違い(たがい)もなくその通りであることに、悪寒を感じた。やはり自分は、彼女に“作られた物”なのか、と。

そう理解した瞬間、思わずその場に崩れ落ち身体を震わせた。感情の起伏が乏しいとは言え、決して無いわけではない。自分が人ではない事実に、恐ろしさを覚え、絶望を覚え、悲しさを覚え・・・・・・そして少しの安堵を覚えた。

 

 

ああ、“人”ではないから、“他人(ひと)”とは違ったのだ。

 

悲しさからか、嬉しさからか、涙がぽたりと落ちる。

 

 

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―――只の一つも、表情は変わらぬまま。

 

すると三度(みたび)少女は笑い、ゆっくりと此方に近付いて来た

 

ふと両の手で顔を持ち上げられたかと思うと、ただ一言「おやすみ」とだけ呟かれ、額に口付けをされる。

途端意識は薄くなり、目の前は暗幕を下ろされたかのように徐々に暗くなっていく。

記憶が、自分が、こぼれていく。

 

その意識の端で聞こえたのは、自分の名を呼ぶ、親友(とも)の―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、あいつの様子がおかしいのは分かっていた。

あいつは妙に頑固だから、何かあっても誰にも相談しなかった。

“なにかある”という事しか、俺には分からなかった。

だから、あいつが突然消えた時、背筋が凍った。嫌な予感がしたんだ。

だから、走った。思い当たる場所に。

・・・・・・一度だけ、一度だけ話してくれた“夢”を頼りに。

 

 

 

 ――――だけど、間に合わなかった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・時雨ッ!」

 

息を切らしながら、暗く影の落ちた社の扉を開ける。

硝子の器具越しの自らの眼(まなこ)に映るのは、一人の少女に、まるで人形のように目を閉じ力無くもたれかかる親友の姿。そして少女は邪悪な笑みを浮かべて笑っていた

 

「遅かったねぇ、炎の子。もうこの子のものは奪ってしまったよ。“君たち”との思い出も、何もかもねぇ」

 

君たち・・・・・・ああ、幼馴染(おれら)のことか。

冷静に、そして簡潔に自問自答を済ませ、少女の方へと歩を進める

 

「おいおい、何してくれてるんだ? 人間の記憶を奪うなんて・・・・・・仮にも神様ともあろうものが、そんなことしてもいいってのか?」

 

呆れた笑いを溢して少女を見る。

すると少女は向かって来る俺に対し臆しもせずに口を開く

 

「逆だよぉ? 神様だから、こういうことをするのさ」

 

そう言いつつ少女は未だ笑ったままだ。その笑いを見て、思わず俺は笑顔を崩す。

・・・・・・笑ってるんじゃねぇよ。人の人生奪っておいて、笑ってるんじゃねぇ。

止めどなく、身体の内側から、まるで燃え盛るかのように怒りが湧き出る。

 

「・・・・・・それにしても可笑しなことを言うんだね、炎の子。この子は元から人間じゃない傀儡・・・・・・“私”の器として、“私”が作った物なんだよ」

 

これ以上ない程に口元を歪ませ、少女はまた、にたりと笑う。

そんなの、知った事か。俺の怒りは、そんな事実じゃ収まらない。

 

「お前が作ったんだとしても、そいつは『時雨』っていう一人の人間だったんだ。傀儡なんかじゃない、ただの人間だ。俺達“六家”の“跡取り”達の兄貴分で・・・・・・俺の親友だったんだ。それを勝手に奪ってんじゃねぇよ、“忌天”風情が!」

 

怒りに任せ、術で炎を纏わせた拳で少女――忌天に殴り掛かる。

だが案の定、いとも容易くかわされ空振りに終わる。

そして尚、忌天は嬉しそうな笑顔で笑っていた。

 

「ああ、あの札も無しに、そんな事が出来るんだね、きみは」

 

「ッ何の事だ!」

 

「見えていないのかい? まぁ、それならそれでいいけどねぇ。・・・・・・本当に“君たち”には、飽きなくていいよぉ。一人一人が、とても・・・・・・とても面白くて。・・・・・・特に炎の子。きみはこの子みたいで・・・・・・ふふふ、この子を作った事を少し後悔しちゃうねぇ」

 

忌天がそう言った次の瞬間には、目の前から奴は消えていた。

そして視界に広がる、白に・・・・・・黒く淀みきった、妖の如き瞳。

 

「・・・・・・っ!?」

 

咄嗟に後退ろうとするも、影が床から溢れ出し身体に絡みついた。

眼前に広がる、どんな妖よりも邪悪な“瘴気”。

どんなに修練を重ねようと、奴には抗えないのだと、そう思わせる程の。

 

「けれど、作ってしまったものは仕方がないから・・・・・・そうだね、きみは“予備”にしてあげよう」

 

 

忌天はそう話し、俺が付けている硝子の器具を外したかと思うと

 

俺の“左目”に手を伸ばした。