その零 「天に神の漂いし空の下の記録」
何一つ、不自由のない生活をおくっていた
何一つ、変わり映えの無い日常を過ごしていた
妖と戦い、人々に平穏をもたらし、束の間の休息を与えられ・・・・・・それを繰り返すだけだった。
今日までは
この時までは。
今、目の前に佇んでいるのは夢で何度も出会った少女
不敵な笑みを浮かべ、此方を見ている。
彼女は言った。お前は人として生まれたのではなく、ただの器なのだ、と。
だが、理解は追いつかなかった。何分、人間として自らの意思を持って生きてきた故に、自分がただの傀儡(かいらい)だった等と信じたくもない。
そしてまた、少女は笑う。
何にも興味を持てない自分に、違和感を感じたことがあるだろう。
不自然なほどに感情の起伏が乏しい自分に、妙だ、と思っただろう。
六属性の術を全て扱える自分が、おかしいと思ったことがあるだろう。
全くもって寸分の違い(たがい)もなくその通りであることに、悪寒を感じた。やはり自分は、彼女に“作られた物”なのか、と。
そう理解した瞬間、思わずその場に崩れ落ち身体を震わせた。感情の起伏が乏しいとは言え、決して無いわけではない。自分が人ではない事実に、恐ろしさを覚え、絶望を覚え、悲しさを覚え・・・・・・そして少しの安堵を覚えた。
ああ、“人”ではないから、“他人(ひと)”とは違ったのだ。
悲しさからか、嬉しさからか、涙がぽたりと落ちる。
―――只の一つも、表情は変わらぬまま。
すると三度(みたび)少女は笑い、ゆっくりと此方に近付いて来た
ふと両の手で顔を持ち上げられたかと思うと、ただ一言「おやすみ」とだけ呟かれ、額に口付けをされる。
途端意識は薄くなり、目の前は暗幕を下ろされたかのように徐々に暗くなっていく。
記憶が、自分が、こぼれていく。
その意識の端で聞こえたのは、自分の名を呼ぶ、親友(とも)の―――
最近、あいつの様子がおかしいのは分かっていた。
あいつは妙に頑固だから、何かあっても誰にも相談しなかった。
“なにかある”という事しか、俺には分からなかった。
だから、あいつが突然消えた時、背筋が凍った。嫌な予感がしたんだ。
だから、走った。思い当たる場所に。
・・・・・・一度だけ、一度だけ話してくれた“夢”を頼りに。
――――だけど、間に合わなかった。
「・・・・・・時雨ッ!」
息を切らしながら、暗く影の落ちた社の扉を開ける。
硝子の器具越しの自らの眼(まなこ)に映るのは、一人の少女に、まるで人形のように目を閉じ力無くもたれかかる親友の姿。そして少女は邪悪な笑みを浮かべて笑っていた
「遅かったねぇ、炎の子。もうこの子のものは奪ってしまったよ。“君たち”との思い出も、何もかもねぇ」
君たち・・・・・・ああ、幼馴染(おれら)のことか。
冷静に、そして簡潔に自問自答を済ませ、少女の方へと歩を進める
「おいおい、何してくれてるんだ? 人間の記憶を奪うなんて・・・・・・仮にも神様ともあろうものが、そんなことしてもいいってのか?」
呆れた笑いを溢して少女を見る。
すると少女は向かって来る俺に対し臆しもせずに口を開く
「逆だよぉ? 神様だから、こういうことをするのさ」
そう言いつつ少女は未だ笑ったままだ。その笑いを見て、思わず俺は笑顔を崩す。
・・・・・・笑ってるんじゃねぇよ。人の人生奪っておいて、笑ってるんじゃねぇ。
止めどなく、身体の内側から、まるで燃え盛るかのように怒りが湧き出る。
「・・・・・・それにしても可笑しなことを言うんだね、炎の子。この子は元から人間じゃない傀儡・・・・・・“私”の器として、“私”が作った物なんだよ」
これ以上ない程に口元を歪ませ、少女はまた、にたりと笑う。
そんなの、知った事か。俺の怒りは、そんな事実じゃ収まらない。
「お前が作ったんだとしても、そいつは『時雨』っていう一人の人間だったんだ。傀儡なんかじゃない、ただの人間だ。俺達“六家”の“跡取り”達の兄貴分で・・・・・・俺の親友だったんだ。それを勝手に奪ってんじゃねぇよ、“忌天”風情が!」
怒りに任せ、術で炎を纏わせた拳で少女――忌天に殴り掛かる。
だが案の定、いとも容易くかわされ空振りに終わる。
そして尚、忌天は嬉しそうな笑顔で笑っていた。
「ああ、あの札も無しに、そんな事が出来るんだね、きみは」
「ッ何の事だ!」
「見えていないのかい? まぁ、それならそれでいいけどねぇ。・・・・・・本当に“君たち”には、飽きなくていいよぉ。一人一人が、とても・・・・・・とても面白くて。・・・・・・特に炎の子。きみはこの子みたいで・・・・・・ふふふ、この子を作った事を少し後悔しちゃうねぇ」
忌天がそう言った次の瞬間には、目の前から奴は消えていた。
そして視界に広がる、白に・・・・・・黒く淀みきった、妖の如き瞳。
「・・・・・・っ!?」
咄嗟に後退ろうとするも、影が床から溢れ出し身体に絡みついた。
眼前に広がる、どんな妖よりも邪悪な“瘴気”。
どんなに修練を重ねようと、奴には抗えないのだと、そう思わせる程の。
「けれど、作ってしまったものは仕方がないから・・・・・・そうだね、きみは“予備”にしてあげよう」
忌天はそう話し、俺が付けている硝子の器具を外したかと思うと
俺の“左目”に手を伸ばした。