天漂空録

彼らは閉じた世界で、もがき、足掻き、必死に生きる

その弐 「三の異端 ~炎の章~」

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ていた

 

俺が? 

 

・・・・・・否、“あいつ”が見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月雲家から帰ってきた俺は部屋にある鏡台に手をかけ、鏡の中の自分を見つめていた。

目に刻まれた印は、嫌でもあの日のことを容易に思い出させる。

 

自分の力の足りなさを思い知らされた、あの日の事を。

 

 

 

f:id:nananowank:20161116163657p:plain

 

 

 

 

 

 

この状態になってからというものの、俺の左目の視界は封じられ、普通の人間には見えないはずのものが“視える”ようになった。

 

・・・・・・妖がかって? 違う。

 

妖は物心つく前・・・・・・寧ろ生まれた時から見えていた。

六家の人間とは元来そういうものだ。

・・・・・・俺が言いたいのはもっと別のもの。

具体的に上げるとすれば、それは“瘴気のうねり”であったり、“生物の気配”であったり、それが感覚的にではなく、眼に直接“視えて”しまう。

挙句の果てには“あいつ”の夢を覗き見る事も出来る。

故意にではない、勝手にだ。

あいつの痣とこの目の印、だけじゃない。

忌天が関係しているのであろうことは、はっきりとしている。 

 

その上、毎度のことあいつが見るのは同じ夢。

何度見ても代り映えの無い場所と出来事。

川に落ち、水流に逆らえず流れていく落ち葉を見ている時の様に、同じ光景。

 

夢の中のあいつが何を考えているのかは分からない。

この目は、人の思考までは見せてはくれない。

あいつの考えは、今も昔も理解したくても出来ない。

前のあいつと何も変わらない。

あいつはただひたすらに隠し続ける。

確かに変わったものが一つだけあるのに、呪いの様に覆せぬそれは俺の苛立ちをより一層強めた。

 

自分がもっと、強ければ。

妖共が・・・・・・忌天がいなければ。

 

 

―――いなければ、どうなるのか。

いなければ・・・・・・今頃自分はどう過ごしていただろう。 

あいつは、生まれてこないんじゃないか。

 

こんなこと、考えても無駄だと頭では分かっている。

もう起こってしまった、過ぎてしまった事に過ぎない。 

 

鏡の縁を握り締め、深くため息を吐いた。

 

「分かってる、分かってるさ。

時雨に冷たくあたることが、御門違いだってことぐらい」

 

静まった部屋でぼそり、と独り言を呟く。 

 

「なんだ、分かっているならやめればいいじゃないか」

 

返って来るとは思っていなかった他者の言葉に内心驚きながらも、背後に立つ女性と鏡の中で目を合わせる。

 

「姉さん、気配を消して来るなって言っただろ」

 

呆れた顔で振り返り、姉を見る。

 

「すまないね、職業柄なんだ。

これが出来なくなってしまったら、私はきっとすぐ死んでしまうよ」

 

横髪の片側だけ編んだ綺麗な赤い長髪を揺らしながら、此方に近付き傍に腰を下ろした。

くすくす、と嫋(たお)やかに笑うその様は、きっと村人達の憧れの的になるのだろう。

だが俺は、小さい頃に散々手合せで負かされた記憶を忘れはしない。

 

「嘘つけ、気配が消せなくたって充分強いだろうが」

 

恨めしい目で姉を見るも、ふふ、と笑われただけだった。

姉がその優しい表情のまま、さっきのことだけど、と口を開く

 

「手遅れになってからじゃ遅いよ、なつ。

過去を見ていては前は向けない。先の事、未来の事を考えて動くんだ。

あの子を・・・・・・いや、今を受け入れなきゃいけないよ」

 

その姉の言葉に、俺は唇を噛む。

 

「わかってるってさっき言っただろ」

 

尚も崩れぬ姉の笑顔に身体ごと顔を逸らす。

 

「それは私に向けてではないだろう?」

「ああ言えばこう言う・・・・・・」

「それはお前もさ、なつ。姉弟だから似てしまうのだろうね」

 

姉は面白そうにくすくすと笑う。

 

「・・・・・・心配しなくていい。その内、きっと話す機会が来るさ」

「何を根拠に」

「・・・・・・私の直感さ。その時にしっかりあの子と向き合って、話し合うんだよ」

 

その言葉に思わず振り返る。

この人の直感は、よく当たるのだ。

 

「だからって、何を話せば」

「それも心配はいらない。向こうからふってくれるだろうからね」

 

お前の言う事は全てお見通しだ、と言わんばかりの早い返答に口を結ぶ。

この人には、勝てる要素が本当に少ない。

俺は姉に気付かれないように小さな溜息を吐いた。

 

すると足音が部屋の外から聞こえてきて、間も無く声が掛けられる

 

「お二方、仕事が来ていますよ。サボっていないで働いて下さいね」

 

そこに居たのは、至極色(しごくいろ)の髪に褐色の肌、何を考えているか分からない糸のように細い瞳をした高身長の男。

 ・・・・・・俺の守り人だ。

 

彼は片手に紙を持ち、これ見よがしにひらひらと揺らしている。

姉は立ち上がり、着物の裾を払う。

 

「さて、私は言いたい事は言ったし満足したよ。

・・・・・・なつ、よく考えておくんだよ。彼と話し合わなきゃいけないものを」

 

そう言い残し、姉は男から紙を一枚受け取り去って行った。

 

「考えておくって言われたってなぁ・・・・・・」

 

今のあいつと話したい事なんて、何一つもない。

だと言うのに、何を考えろって言うんだ。

一人で考え耽っていると、怒気の混じった声が聞こえてくる。

 

「夏希(なつき)様・・・・・・? 仕事をして下さいって言っていますよねぇ・・・・・・?」

 

いつの間にか目の前に来ていた男の声に驚き顔を見上げながら、わかったから、と紙を奪うように受け取り、内容に一通り目を通す。

 

「・・・・・・晴歩(はれふ)、三下(さんげ)、広枝(ひろえだ)に同一の妖の目撃情報?

ただ単に似ているだけって話じゃないのか?」

 

自分の問いに、いえ、と男は答える。

 

「どうも同じ妖のようでして。三つの村を行き来して子を攫っている様ですよ」

 

そこでまた俺の頭の中には疑問が上がる。

 

「何故子を攫われた親は報告してこない?」

「・・・・・・親は子を攫われた際、殺されているそうで」

 

それでも周りの人間が気付くんじゃないか。自分の言葉に、男は首を振る。

まるで最初から居なかったかのように、死者の知人の記憶はすり替えられていると。

 

「忽然と居なくなったわけじゃなく存在そのものを史実から抹消されてるのか?

神隠しとすら言えない・・・・・・笑えない話だな」

 

俺の呟きに男は含み笑いをして口を開く。

 

「ですがね、その妖の力にも抜け道はあったのですよ。死者の“知人以外”の記憶は変えられていない。だから今回、その“知人以外”から依頼が我々に舞い込んだ。

空き家が増えてきていることを訝しんで。

・・・・・・まぁ、つまりはその妖はその程度、と言ったところですかねぇ」

 

愉快そうに話す男に、その油断が命取りになるぞと諭し落ち着かせる。

男は失礼、と咳払いをし此方を見つめ直した。

 

「とりあえず、晴歩から見て回るぞ。いいな?」

 

紙を男に返し、着物を着替え始める。

男は部屋の外へと戻り、そして振り返って一言。

 

「不肖、この紅(くれない)、夏希様の為にこの世に居ます故・・・・・・貴方の意見に異存等は御座いません。

・・・・・・あと、外で待っていますから、支度が終わり次第出てきてくださいね。わざわざ出迎えとか、面倒なので」

 

一礼をした後のいつもの男の言葉に、思わず気と力が抜けそうになるも耐えた俺を誰か褒めてほしい。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――見慣れた村の中を歩く。

それだけで子供達は俺に寄って来て、無邪気な笑顔を振り撒いてくれる。

 

「また遊びに来てくれたの!?」

「ねぇねぇおにいちゃん、今日はなに話してくれるの?」

「おい! 日酉(ひどり)さまって呼べって言われてただろ!」

 

近付いて来て話しかけてくれる子供達に申し訳ない気持ちになりながら苦笑し、今日は仕事で来たんだと断りを入れる。

子供達はそれなら仕方がない、といった様に各々またねと手を振り礼をしたりしながら遊び場へ戻っていった。

そこで男―――紅が、ぽつりと囁きかけてくる。

 

「よいのですか? 夏希様。子供達を守りながら妖を迎撃するチャンスなのでは?」

 

その言葉に俺は首を振る。

紅は何故かと聞きたそうに首を傾げてきた。

そんな疑問はお構いなしに、俺は村のはずれまで歩いていく。

 

そして空き家の並ぶ場所で止(とど)まり、目を閉じてから眼鏡を外す。

 

「子供達に怖い思いをさせる前に、妖を探し出して殺す。

・・・・・・今の俺には、それが出来るからな」

 

それに、瘴気は既に見えてた。そう紅に対して言いながら、次に目を開いた時。

俺の左目には辺りに漂っていた瘴気がより一層濃く見えるようになっていた。

 

「やっぱり、硝子越しで見るのとは全然違うな」

 

言いながら奥へと進む。紅も、一歩間を空け黙してついて来ている。

あの時、今回の妖はその程度と紅は言っていたが、これほどまでに濃い瘴気を出すのはせめて“大妖怪”位にならなければ不可能。

 

「こりゃあ日酉(うち)に依頼が来るわけだ」

 

不敵に笑う俺に後ろの男は「油断するなと言ったのは誰でしたっけねぇ」と溜息を吐く。

その矢先に目の端の瘴気が蠢くのが見え、素早く術を込めた札をそこに投げるもそこに妖の姿は見えない。

障害物に当たらなかった札はそのまま地に落ち、焼け燃えた。

 

「・・・・・・姿を消せるのか?」

 

周囲を見渡しながら呟いた言葉に紅が、違いますねと首を振った。

 

「地面です、夏希様」

 

そう言いながら、さっきの地面を指し示す。

言われるがままにその場所見るとそこには掌程の大きさに加え、底が深い穴が空いていた。

 

「先程の夏希様が放った御札で地面が焼かれ、残った欠片が底に落ちたのでしょう。

結果、妖の通った穴がひらいた、と。さて、どうしますか? 逃げられたようですが」

「・・・・・・いや、まだ奴は此処に居る。・・・・・・瘴気が薄れてない」

 

懐から三枚の札を取り出しながら答え、目配せする。

紅は「了解しました」と言い俺から数歩下がり、手に持っていた弓に矢筒から取り出した矢を番(つが)えた。

 

「妖風情が、俺から逃げられると思うなよ・・・・・・今すぐ炙り出してやる・・・・・・!」

 

豪炎、鋼刃、重撃と其々(それぞれ)書かれた三枚の札を足元に落とし、踏み付ける。

その次の瞬間、足元から熱風が巻き起こった。

そして俺の足には踏み付けた札から燃え盛った炎が巻き付いて足全体を覆い、まるで元々そこにあったかの様な炎の装飾となり定着する。

紅はその様子を見ながら「いつ見ても熱そうですよねぇ」と一言漏らした。

―――姉さんの方が酷いだろ。手でやるんだぞ、これを。

その俺の言葉に紅は心の底から困ったような顔をしてやれやれと首を振る。

 

さて、と一息ついて、俺は足を振り上げてすかさず踵から振り下ろす。

それに呼応するかのように装飾からは炎が燃え上がり、空を焼いた。

 

「まだ使い慣れねぇけど、調子は良いな」

 

満足気ににやりと笑うと、またもや紅が口を挟んでくる。

 

「試運用中のものを使おうとするなんて、気でも狂ったのかと思ってしまいますよ」

「あのなぁ・・・・・・逆に実戦で使わなきゃ分からない事もあるだろ」

 

それに、今回は試すのに打って付けの相手だ。

空き家が並んでいるが故に、森を焼いてしまうだとか人を巻き込んでしまう等と周りを気にせずに済む。

そうしていると、遠方で瘴気が蠢き地面が盛り上がっていくのが見えた。

 

「紅、あそこだ」

 

俺が指した場所に紅は間髪を入れず矢を放つ。

地に矢が刺さったと同時に鈍い奇声が上がり、地面から矢を刺された妖が姿を現した。

つちのこの様な見た目をした大人の脚程の大きさの、黒茶色の身体。

・・・・・・成る程、子供一人は飲み込めそうな大きさだな。

それほど間を空けず出て来た奴の身体を思い切り蹴り上げる。

またも「ぎぃ」と鈍い声。斜め上の空中へと妖の身体が飛ぶ。

それと同時に妖の口から俺の顔に向かって、粘液の様なものが噴出された。

 

「な・・・・・・っ!」

 

咄嗟に腕でそれを防ぐ。

痺れる様な強い痛みに思わず防いだ方の腕を見ると、その部分だけ赤く爛れていた。

 

「消化か腐蝕か・・・・・・? 何とも言えねぇ妙なモン使ってきやがって・・・・・・」

 

・・・・・・月雲家に行くの確定したな、これは。

その様子を見ていた紅は俺に近寄り「無いよりは良いでしょう」と布を手渡してくる。

それを素直に受け取り布を腕に巻きつけていると、紅がぽつりと呟く。

 

「いやはや、完全におやりになったと思ったのですが。

・・・・・・ふむ、奴には灸を据えた方が良さそうですねぇ」

 

そう言い紅は金色の目を開く。睨む先はとうに地に落ち蠢く妖。

男の周りに漂っているのは紛れもない殺気。

・・・・・・おいおい、今のでキレたのか? 片腕を怪我しただけだぞ。

 

「おい、落ち着け。死んだわけじゃない」

「落ち着いていますよ・・・・・・少々頭に来ているだけです」

 

それで落ち着いてるって言えるお前の頭はどうなってるんだ。

 

「貴方に傷を付けたのです・・・・・・許せる方が可笑しいでしょう。

奴は私が、」

「・・・・・・だから冷静になれ! 今のは完全に俺の油断だ。

それに、お前の武器じゃ決定打は与えられねぇって毎回言ってるだろ!?

っんとに・・・・・・めんどくせぇなぁお前は!」

 

どん、と思い切り紅の背中をどつく。

本当は頭を殴ってやりたいところだが、悔しいことに背が足りない。

やられた当の本人は若干痛そうに顔を顰(しか)め、「ですが」と不服そうにしている。

 

「お前がさっき言ったんだろ、俺の言う事は聞くって。

大体過保護過ぎるんだお前は・・・・・・良いから大人しく後ろに居ろ、馬鹿が」

 

そう伝えると少しの間の後、苦い顔をしてわかりましたと頷いた。

 

―――紅は前衛には向いていない。

と言うのも、こいつは足に少しだけ障害がある。

長い間、とある事情で瘴気にあてられていたせいで、麻痺しているのだ。

と言っても、歩けない程ではないらしいが。

こいつの肌と髪、目の色も、その事が影響している。

 

だから正直な話、こいつには戦ってほしくはない。

だが、そう言うとこいつは強く拒んでくる。

 

私は恩を返したいだけなのです、と。

 

 

 

――ふと、地に落ちた妖が徐に動き出す。

俺はその様子を横目に見て、舌打ちをし構えた。

 

「たかが会話に時間をかけ過ぎたか・・・・・・」

「・・・・・・申し訳ございません、夏希様。

守り人としての汚名はたった今、ここで挽回させて頂きます」

 

会釈した後矢筒から三本の矢を取り出し、今にも襲おうとしてきている妖の方へ向き直って矢を弓に番える。

一本ずつ迅速に放たれた矢は飛び掛かってきた妖を撃ち、家屋の外壁に捕らえた。

捕らえられた妖は突然の痛みに悶えている。

とどめはどうぞ、と言わんばかりの笑顔で紅は奴を掌で示す。

俺は苦笑しながらその場所へと向かう。

 

「さて、さっさと燃やして・・・・・・、・・・・・・!?」

 

近付いた事により、妖の腹が不自然な形に膨らんでいるのがわかった。

 

まるで、人の様な――――

 

 

「っ、まさか・・・・・・!」

 

捕らえるために刺されている矢を一本だけ抜き取り、念の為に術を込め妖の腹を裂く。

鼓膜を破られるかのような妖の奇声が辺りに響き渡り、妖の身体の力は徐々に抜けていった。

 

―――開かれた腹の中には、女の子が一人。

 

後ろに居た紅は顎に手を当て、眉をひそめている。

・・・・・・これは、こいつが驚いている時にやる仕草だ。

そんな紅を後目(しりめ)に俺は急ぎ女の子の脈を測ろうとする。

だが女の子が小さく呻き目を開いた為、ほっと息をつく。

痛む腕を酷使し、女の子を抱きかかえて妖の腹の中から助け出すと、それを待っていたかのように妖の姿は霧となって消えた。

 

俺は女の子を壁に凭(もた)せ掛け、座らせてから話しかける。

 

「・・・・・・お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

 

身体を支えてやりながら、頭に優しく手を置き、極力怯えさせないように。

女の子は虚ろな目で此方を向き、瞬きをして、考える様に首を傾げた。

 

「・・・・・・わたし、お爺ちゃんをさがしてて・・・・・・それで・・・・・・どうなった、の?」

「きみは、化物に連れ去られそうになってたんだよ」

 

途切れ途切れに出る彼女の言葉は弱々しく、改めて彼女が危なかったのだと悟らせる。

―――後少し、ここに向かって来るのが遅かったら。

そうだとしたら、この子はきっと妖の体内に元々ある瘴気にやられ、死んでいただろう。

不本意ながらにもしもの事を考え、思い切り首を振った。

既に助けたのだから、それはもう考えなくて良い。

 

「自分の家は? わかるかい?」

 

俺の問いに、女の子は少し間を空け「わかる」と答える。

 

「でも、お爺ちゃんを探しに・・・・・・他の村に、行こうとしてたの」

 

女の子の言葉に、俺は首を傾げる。

 

「両親は?」

「・・・・・・居る」

「? ・・・・・・家出でもしたのかい?」

 

その言葉を聞いた女の子は悲しそうな顔をして首を振り、否定した。

 

「わたし、お父さんとお母さんに捨てられちゃったの。

捨てられた後すぐに・・・・・・お婆ちゃんから、爺さまに会わせてって頼まれて。 

だから一緒に爺さま・・・・・・お爺ちゃんを探すことにしたの」

 

まるで言葉を選んでいるかの様な話し方に疑問を感じながらも俺は女の子の話を聞いていた。

すると女の子はよろめきながらも立ち上がったかと思うと、俺に向かってお辞儀をする。

 

「ありがとう、おにいさん。助けてくれたんです、よね?

・・・・・・本当に、ありがとうございます」

 

そう言って、女の子は無邪気にほほ笑む。

―――お礼の後の語尾に聞こえた単語は、小さ過ぎて聞き取れなかった。

紅も意味は分からないまでも何かを言ったのは分かったようで、訝しげに目を開いている。

俺は微かに瞬きした後、女の子に笑いかけた。

 

「他の村に行くのなら、送って行こう。また危ない目に合うと困るだろうから」

 

そう言うと女の子は「本当ですか?」と嬉しそうに笑ってくれた。

 

「実は道、分からなくて。困ってたんです!」

 

笑ったまま困った顔をし、ホッと胸を撫で下ろす様な仕草をする。

 

「ははっ、じゃあ俺が助けに来て正解だったかな」

 

村の人達に、他の村へ行く方法を知ってる人は少ないだろうし。

呟くように言うと女の子は目を瞬かせて「もしかして、六家のひと?」と一言。

それに対して俺は「じゃなきゃ妖退治なんて来ないだろう?」と答える。

すると女の子はそれもそうですね、と可笑しそうにしていた。

 

俺達の会話を聞いていた紅はと言うと、尚も難しい顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺達は自分たちの村の近くにあるものよりも一層暗い森を抜ける。

抜けた先は、少し白みがかった家々が並ぶ大きな村。

女の子の方へ振り返り、此処に来たかったのかと尋ねる。

すると女の子はそうですと頷き、一礼する。

 

「助かりました、本当にありがとうございます!」

 

律儀な子だ、などと思いながら「どういたしまして」と笑い掛ける。

そしてそのまま、村の入口の反対側に見える建物を見つめる。

 

あいつは、もう帰って来ているのだろうか。

少しぐらいは顔を見に行くべきだろうか。

だけど、朝に会ったばかりだし、用もない。

・・・・・・話すことも、ない。

 

静かに目を閉じて視線を戻し、女の子に話しかけた。

 

「じゃあ、気を付けてな。此処は他の何処よりも――――“安全”で、“危険”だから」

 

俺が言った言葉に首を傾げる女の子に別れを告げ、来た道を戻る。

さっきのように、紅はまた数歩後についてきていた。

 

「安全で危険・・・・・・言い得て妙、ですねぇ」

 

笑う紅に「笑い事じゃないぞ」と釘を刺し、歩を早める。

言葉の通り、あいつがいる限りあそこは最も安全で、それでいて最も危険な場所。

恐らく奴にやられればあそこが・・・・・・あの村が、一番に“落ちる”だろう。

奴さえ現れなければ、あの場所は何処よりも安全なのだ。

 

そして真似た言い方をするなら、今のあいつには何も起こらないと安心出来る。

だが・・・・・・その反面、全てを忘れてしまった今が、一番危ないのかもしれない。

 

 

振り返り、もう一度先程の建物を見つめる。

 

 

 

 

 

 

“物”の見えぬ左目が、ちり、と痛んだ気がした。