天漂空録

彼らは閉じた世界で、もがき、足掻き、必死に生きる

その参 「三の異端 ~闇の章~」

 

 

 

髪を風に揺らされながら、青年は木に凭れ掛かっている。

心地良さそうに眠っているその顔は、幼子の様に穏やかだ。

その青年の元に、一人の少女が駆け寄る。

少女の気配を察知し目が覚めたようで、青年は瞼を重そうに開いた。

 

「蘭」

 

青年が微睡みながら少女の名を呼ぶと、彼女は一礼し微笑む。

手紙が来ている、と小奇麗な封筒を差し出しながら少女は言った。

青年は欠伸をしてから目を擦り、身体を伸ばして「はぁ」と深い溜息。

先程一仕事終えたばかりの彼は、どうにも疲労感が抜けきっていない様子だった。

 

「兄様、大丈夫ですか? まだ疲れていらっしゃるのでしたら、この手紙はまた後程お部屋に届けに行きますよ」

 

兄と呼ばれた青年は妹のそんな労いの言葉に大丈夫だと答え彼女の頭を撫でる。

そうしてから手紙を受け取って封を開き、寝起き故に覚束(おぼつか)ない手付きで折り畳まれた紙を捲(めく)っていく。

 

やや暫くして一通り手紙を読み終わったのであろう青年はうんうんと唸っていた。

少女がどうしたのかと問うと、やや真剣な声音で答える。

 

「九十九が妖を連れてきて、騒動になってるってよ」

 

手紙は来城のおじさんからだ、と最後に付け足す。

それに対し少女、蘭は不愉快そうな顔で眉間に皺を寄せた。

妖に対して良い思いをした事がない人々の一般的な反応だが、青年は“九十九”という人間を理解していた。

 

「あいつが人間と一緒にいて危険な奴を自分の家に連れて行く訳ねぇさ」

 

だからあまり邪険にしてやるな、と再び妹の頭を撫でる。

その言葉に蘭は、邪険にしているわけではなく純粋に心配なのだと答える。

青年が首を傾げていると「兄様もあの方も、すぐに無茶をなされますから」と言い俯いた。

青年はばつが悪そうに頬をかき、軽い謝罪をする。

 

「悪ぃな、いつもいつも」

「・・・・・・良いのです、仕方ない事ですから」

 

蘭は首を振り言うと、暫くの間の後思いついた様に顔を上げる。

 

「それより来城さんの所に行かなくて良いのですか? 手紙をわざわざ式に持って来させていましたし、内容をお聞きするかぎりではかなり重要な要件だと思うのですが」

 

彼女の言葉に青年はまた身体を伸ばし「そうだなぁ」と呟くと、懐から徐に紙人形を取り出した。

 

「弟分の不祥事は兄貴分の責任、ってな。―――我が声に応じろ、式・夜舞」

 

青年が目を瞑り式の名を呼ぶと、紙人形は淡く光り黒い無数の蝶へと姿を変えていく。

その蝶の群れに、青年は人差し指を差し出した。

蝶達はその一か所に集まり徐々に人の形を成していき、やがて青年の指に口付けをしている女性の姿と成る。女性は肩にかかるぐらいの長さの黒髪に黒い衣を纏った麗しき姿をしていた。

 

『私めをお呼びか、我が主よ』

 

女性―――夜舞と呼ばれた式は口を開かず念話で自分を呼び出した青年に話しかけた。

青年はその言葉に頷き、式に問うた。

 

「今、来城の土地周辺にお前さんの仲間はいるかい? 出来れば転移を頼みてぇんだが」

『ああ。昔のこと、主に頼まれた通り常に六家の土地の傍には三ほど潜ませている』 

 

 夜舞の返答に「そうか」と簡単に返事を済ませ、青年は蘭の方を向く。

 

「そんじゃあ、いってくる。留守番は頼んだぞ」

「はい。いってらっしゃいませ」

 

蘭は青年に対し深くお辞儀をする。

そんな蘭に笑いかけると、青年の姿は数多の蝶に飲まれて消えていった。

取り残された蘭は、一人不安そうに呟く。

 

「疲弊しているというのにあのような式をお使いになられて、大丈夫なのでしょうか」 

 

その言葉は、誰も居ぬ空へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

那由多は外廊下の縁に腰かけ、居心地が悪そうに足をぶらぶらと揺らしていた。

自分はやはりここに来てはいけなかったのではないかと、九十九の両親の反応を見て瞬時に察していた。と言っても既に九十九の必死の弁明により、説得はしたのだが。

それでも貫かれる様な視線は彼にとって酷く痛切に感じた。

 

だが、それよりも更に那由多が危惧している事がある。

――雷天の存在だ。

六天神が妖を決して良しとしない事は妖の間では有名だった。

人間はまだ、九十九の様に妖にも善悪がある事を理解してくれる人もいる。

だが六天神は違う。善も悪も関係なく“妖という存在”を抹消しようとしてくる。

他でもない六家という“選ばれた人間”を使って、自分達の邪魔になる存在、害になる存在を“この地”から排除しようとしている。

 

「アニキの言った通り、妖も人も・・・・・・神でさえも、同じ事をしてるんだな」

 

妖ももちろん、人の事、神の事は言えなかった。

自分達・・・・・・いや、“奴等”も人を害をなす存在として襲っているのだろう。

那由多自身は世間を知らない故に、この考えは憶測でしかないのだが。

 

「他に何か目的があるとしたら・・・・・・」

 

那由多はふと父親であったあの鬼が別の鬼と話していた事を思い出す。

 

「確か、邪神様・・・・・・邪神に、何かを差し出すとか言ってたっけ」

 

おぼろげな記憶を手繰り寄せるも、出てくるのはその単語のみ。

自らの記憶力に那由多は思わず唸りながら頭を抱えた。

そう唸っていると目の前にふと黒い蝶が一匹通り過ぎ、その蝶を見た途端 那由多は背筋が凍る様な感覚に陥る。

蝶が向かう先はこの家の門・・・・・・否、塀の内側に居るという事は、玄関の方角。

外廊下から降り、蝶の後を急ぎ足で追う。

すると蝶は予想通りに玄関の前、外門の側で止まり、その場でくるくると旋回し始めた。

黙ってその光景を見ていると蝶は徐々にその数を増やしていく。

目を擦りながらもそのまま様子を窺(うかが)っているとやがて黒い蝶は人一人分程の高さに匹敵する程に集まり、そこまで集まってやっとその場からばらけて消えていく。

蝶が消えたその場には一人の青年が立っていた。

門から庭、草木へと移ろう青年の視線。

――ふと、目が合う。

その時那由多は背筋だけではなく、全身が凍り付くような感覚を覚える。

 

駄目だ。

 

那由多自身は、自分が何に対してそう思ったのかは分からない。だが本能は、身体は、勝手に動いていた。

青年へと飛び掛かり、顕現させた大斧を振り下ろす。

その青年はというと驚いた様に目を見開いた後、少しだけ横に動いた。

 

「なっ・・・・・・」

 

かわされた。そう分かるのにもちろん時間はかからない。

だが振り切った腕は止められず、大斧は地面に刺さり微動だにしなくなった。

青年はそんな那由多に近寄り、子供と話すかの様にしゃがみ目を合わせ話しかける。

 

「いくら力があるって言っても、それに頼っちゃあいけねぇな。

こういう両刃状の斧ならもっとそうだ。重心の掛け方、遠心力、その他諸々を考えて振らねぇと、今みたいに隙が生まれちまうし自分にも危険が伴っちまう」

 

言いながら、こん、と斧頭の部分を優しく叩き青年は笑う。

その笑顔を見、話を聞く余裕は今の那由多にはなかった。

彼が今見ているのは青年の“内側”。

見る限り青年には霊力だけではなく、別の力も混じっていた。

言うなればあまりにも“混ぜこぜ”の状態で、何故彼が意識を保ち力を使えているのかが不思議な程。

きっと彼が内に秘める力を全て使おうとしたら、自我が、精神が崩壊を起こすだろう。

唯一堪えられる方法があるとしたら、それは自分の持つ力を理解せず使わない事。

多分生まれつきで両親から伝えられていない、とかそういう事なのだろうと那由多は思った。

 

―――そう、そこまで考え、那由多はようやく青年に何者なのかと問う。

青年は数回瞬きをした後、自分は六家の人間だ、と答えた。

その回答を聞いても尚、那由多の中にある靄(もや)は晴れなかった。

いくら六家の人間でもそんな力を持った人間は見た事がない。

尤も那由多自身が知らないだけで、数十年、数百年前にはいたのかも知れないが。

 

暫くの間二人が沈黙と共に見つめ合っていると、九十九がその場に走り寄って来た。

 

「時雨さん! なんでここに!?」

 

問う九十九に青年――時雨は笑いながら「よぅ」と手を振り挨拶する。

そしてしゃがんだまま片手に顎を乗せ、九十九に話しかける。

 

「仮にも“妖”の前で他人の本名を呼ぶたぁ、随分とこいつを信じてるんだなぁ」

 

その時雨の言葉に九十九ははっとした顔で「ごめんなさい」と謝った。

しかし言葉自体はきついが、時雨本人は全く怒った声音や表情は見せず寧ろ微笑ましそうに笑っていた。

 

「心配すんな九十九。お前さんがこいつのことを信じているように、おらもお前さんの事を信じてる。だから、あまり気張るんじゃねぇ」

 

そう言いながら立ち上がったかと思うと時雨は九十九に歩み寄り、俯いている彼の肩をぽん、と叩いた。

それからそれほど間を空けず、玄関から金髪の男性が出て来る。

その姿を見た時雨は男性に対し再び軽い挨拶をしながら近付いた。

 

「やぁ時雨君、来てくれたのだね」

「おう、困ってるみてぇだったからなぁ」

 

時雨の言葉に男性は苦笑し「もう粗方終わってしまったがな」と答える。

 

「まだ何かあるのか?」

 

首を傾げながら時雨が九十九と男性から話を聞くと、どうやら那由多の所在を決めかねているようだった。

妖であるが故に下手に村の警らをさせると村人達を怖がらせてしまうし、那由多自身は家事も何もかも出来ず、ならば何ができるのかと問うと戦う事しか知らないと言う。

話を最後まで聞いた時雨はきょとんとした顔で「それならまだ一つ残ってるだろ」と声を上げる。

 

「那由多はよ、九十九の守り人になればいいんじゃねぇか?」

 

九十九にはまだ守り人いなかっただろ、と言い足しながら那由多の傍に行き彼の頭をぽんぽんと叩く。

守り人とは六家の当主の危機を救う、文字通りの存在だ。

当主達は勿論、次期当主達にも例外は無く一人一人に守り人が居る。

那由多は頭に疑問符を浮かべながら、九十九と金髪の男性は本気なのかと言いたげな顔で其々彼を見ていた。

 

「守り人にするには天神様の許可が必要だって、時雨さんも知ってるはずだよね?

それに天神様達は妖の事・・・・・・」 

「知ってるさ。でも説得すりゃ良いだけだろ?」

 

何を今更、と言わんばかりの軽い言葉に嗚呼いつものだと九十九の身体全体の力が抜ける。

 

「大丈夫さな、おらが説得してやるからよぉ」

 

九十九の反応を見た時雨はけらけらと笑いながらそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九十九と時雨の二人は、雷鳴の神祠(しんし)の前にいた。

那由多が居ないのは時雨が「最初は二人の方が良いだろ」と言ったからだ。

一見普通の小さい寺の様に見える祠にしては大きなこの建物は、神の住まう場所として村人の出入りが禁止されている。

だが理由はそれだけではなく、この神祠のさらに奥に進むことで見えてくる巨岩に一般人を近づけさせない為でもあった。

何故と問われれば、その巨岩には“妖の根源”である“邪神”が六天神の力によって封じられているが故である。

 

「雷天様、邪魔するぜい」

 

こん、と戸を叩きながら時雨は神祠の中へと入っていく。九十九もその後を追って中に入った。

二人を出迎えたのは、金髪を後ろで一つに結わえ、けだるげな黒い瞳で彼らを見つめる独創的な着物を召した背の高い男性だった。

 

『やぁ、よく来たね。出雲の子、それに九十九も』

 

話しかけてきた男性に対し九十九は「雷天様」と男性の・・・・・・否、神の名を呼ぶ。

時雨はというと雷天に軽く会釈し、早速本題に入らせてくれ、と若干急いた様子で切り出す。

九十九は先程までとは違う様子の時雨に疑問を持つが、雷天は全てを察した様に目を細め頷いた。

その反応に安堵の表情を浮かべ、時雨は口を開く。

 

「単刀直入に言うけどよ・・・・・・訳有りの妖を九十九の守り人にしてやってくれねぇか」

 

あまりにもあっさりと言い切った時雨に、九十九は驚き時雨と雷天の顔を交互に見る。

案の定、雷天は九十九が予想していた通りの顔になっていく。

ああ、怒ってる。九十九がそう思った時には既に周りに暗雲が漂っていた。

時雨もやっぱりかと言いたげな顔で、雷天を見つめていた。

そんな彼に当たり前だと言いたい気持ちを抑え九十九は雷天を宥めにかかる。

 

「ら、雷天様! 落ち着いて下さい! 本当にこれには訳があって・・・・・・!」

『訳が有ろうと無かろうと、妖に人を守らせる事なんてあってはならない。

・・・・・・妖は、消すべき存在だ』

 

黒かった瞳が金色に輝きを変え、辺りの光が落ちる。

その様子を暫く見ていた時雨は小さくため息を吐き、雷天の傍へと寄っていく。

 

「なぁ、その古臭い考え、もう捨ててもいいんじゃあねぇか」

 

放たれた言葉に、九十九は背筋を凍らせる。

神に対して、“古臭い”とは。

どう足掻いても、彼にしか言えない言葉だろう。

だが何故かその言葉で、辺りに漂っていた暗雲が勢いを無くしていく。

 

『古臭い考え・・・・・・? この世の掟の様なものだよ、これは』

「掟なら、塗り替えたってバチは当たらねぇだろ?」

『・・・・・・その考え、まるで闇天の様だね、出雲の子』

 

溜息交じりに吐かれる言葉に時雨は、はは、と笑う。

 

「その場で足踏みするよりは、新しい物事を受け入れていく方がこの世の為にも良いと思うぜ、雷天様よ」

 

金色の瞳が揺れ、時雨を見つめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづかない